江戸時代の黄表紙(時代世話二挺鼓・1788年)

万華鏡の発明は1816年、江戸時代には万華鏡はありませんでしたが、それに似たものはありました。ドラゴンフライと言われるプリズムレンズで見るものを多くに分割してみるものです。
このドラゴンフライを日本では、「八角眼鏡」、「将門眼鏡」、「タコタコ眼鏡」などと呼んで親しんできました。今回は「八角眼鏡」、「将門眼鏡」の紹介です。
上の絵は山東京伝(1761-1816)作の黄表紙「時代世話二挺鼓」の1ページです。天明8年(1788年)作のこの作品(歌麿呂門人行磨呂画、蔦屋重三郎刊)は当時の松平定信による政治改革、田沼意次失脚を風刺した作品だそうですが、この二人を藤原秀郷(松平定信)と平将門(田沼意次)に置き換えてお上を刺激しないように書いています。
ストーリーは、藤原秀郷が平将門を成敗するために料理、書道、諸芸などの勝負をする。将門には有名な影武者が6人おり、7人分の腕前だが、秀郷は8人分の腕前を見せ優勢。焦った将門は、影武者の存在を見せつけるが、秀郷はここでドラゴンフライ(八角眼鏡)を取り出して自分の姿を8人にして上回り、最後には秀郷が将門を成敗するという話。
この話では八角眼鏡が登場しましが、黄表紙に登場するということは、当時多くの人が八角眼鏡(ドラゴンフライ)を知っていたということです、もちろん実物を見たことがありかどうかは別ですが。また、ドラゴンフライは一人の人物を多くに分身させて見せますので、将門の影武者との連想から将門眼鏡とも呼ばれていたようです。
この時代には、社会的にも安定していたのもあってか、ガラスレンズが一般に普及し始めます。山東京伝には1796年「人心鏡写絵」という黄表紙もあり、この話では覗くと人の心まで見通すことができるという眼鏡まで登場します。この時代にもSFはあったんですね。

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